高谷裕亮選手の年俸はいくらなのか?2007年からの年俸推移や経歴はどうなのかについても興味がわきます。そこで,高谷裕亮選手の今年の年俸がいくらなのかや2007年からの年俸推移や経歴について簡単にまとめてみました。
高谷裕亮選手の年俸はいくら?
高谷裕亮選手の年俸はいくらかというと,2020年は,現状維持の3400万円となります。
2020年は,皆様もご存じの通り,新型コロナウイルスの影響のため,未だに開幕しておりません。
2020年の捕手は,12 髙谷裕亮,19 甲斐拓也,31 栗原陵矢,45 谷川原健太,62 海野隆司,65 九鬼隆平の6人体制です。
ところで,年俸は,複数年契約をしていなければ,単年度契約となり,高谷裕亮選手の今の契約は,1年ごとの契約のようですから,年俸の上下は前の年の実績が物差しと言って良いと思います。
高谷裕亮選手の2019年の実績も!
高谷裕亮選手の3400万円を査定する2019年の実績は何であったのかを振り返ってみたいと思います。
まず,出場試合は55試合で,スタメンマスクは10試合でした。年間の試合が143試合あっていますから,出場試合が55試合でスタメンマスクが10試合というのは,実力が物を言うプロ野球選手にとっては,いかがなものでしょうか!?
しかしながら,2020年の年俸は,3400万円という現状維持の金額ですから,55試合という数字以外の何かが高谷裕亮選手の年俸3400万円を決めるものだったということです。
第1に考えられるのが,特に2019年のクライマックスシリーズや日本シリーズでは目立っていたのですが,それは高谷裕亮選手の「抑え捕手」としての役割です。「抑え捕手」とは,いわばその試合を決める役割を担うわけですから,責任重大です。
甲斐拓也選手も年を追うごとに成長してきて頼もしい捕手に育ってきましたが,なぜか高谷裕亮選手は,「抑え捕手」を任され,最終的には試合に勝利するわけです。
ということから考えると,高谷裕亮選手の55試合には,「抑え捕手」として試合を決める役割がかなりウェートを占めていたのではないかと考えられます。
また,若手や外国人に対して,「孤立させない,気落ちさせないことが大事。僕でも外国に行けば外国人ですし,寂しい思いをさせないように」という点やシーズン後に外国人選手たちが帰国する際には,必ずといって良い程,空港まで見送りに行くという今では恒例とも言える気遣いや心配りも高谷裕亮選手の2020年の年俸を割り出すものの一つになっていたと思われます。
高谷裕亮選手と言えば,ただのおじさん的な印象が強く残りますが,なんjとかでも評判になるベンチをホッコリさせるパフォーマンスが時々あったりものまねがあったりもして,こんなことは誰にでもできることではないので,その辺の事柄も年俸の査定に加味されたのではないかと考えます。
高谷裕亮選手がいつ引退されるかは不明ですが,「抑え捕手」としての試合数が80~90試合くらいになれば,5000万円とかにも年俸がアップするかもしれませんから,高谷裕亮選手を今後も応援するファンとしては,気がかりなところです。
高谷裕亮選手の2007年からの年俸推移も!
高谷裕亮選手の2007年からの年俸推移についてですが,入団当初の2007年は,契約金8000万円で入団し,年俸は1200万円でした。
2007年の時の捕手は,12 髙谷裕亮,22 荒川雄太,25 大野隆治,26 的場直樹,27 中西健太,29 領健,62 山崎勝己,70 田上秀則の8人体制でした。
捕手難というチーム事情もあり,正捕手として期待されましたが,1年目の出場は12試合にとどまり,先発出場7試合,フル出場した3試合では2勝1敗,1完封勝利という結果でした。
2008年は,2007年度の結果を反映して100万円ダウンの年俸1100万円でした。
2008年の時の捕手は,12 髙谷裕亮,22 荒川雄太,25 的山哲也,26 的場直樹,29 加藤領健,62 山崎勝己,70 田上秀則の7人体制でした。
捕手陣では最多となる62試合に出場し,56試合に先発出場しました。フル出場した40試合は18勝20敗2分,2完封勝利でした。規定試合数未満でしたが,盗塁阻止率は.344と好結果でしたが,打撃が自己最多の215打席に立ちましたが,打率は1割台に終わるなど課題も残した年でした。
2009年は,2008年度の結果を反映して,700万円アップの年俸1800万円でした。
2009年の時の捕手は,12 髙谷裕亮,22 荒川雄太,26 的場直樹,126→42 堂上隼人(3月支配下登録),62 山崎勝己,70 田上秀則の6人体制でした。
最終的に出場した試合は25試合で,先発出場が21試合,フル出場した13試合では5勝8敗,2完封勝利と結果は振るわず,クライマックスシリーズファーストステージでは,2試合ベンチ入りしたものの出場機会はありませんでした。
2010年は,2009年度の結果を反映して,200万円ダウンの年俸1600万円でした。
2010年の時の捕手は,(23試合)4 清水将海(6月入団),12 高谷裕亮,22 荒川雄太,42 堂上隼人,62 山崎勝己,70 田上秀則の6人体制でした。
2010年は,主に守備要員として起用され,4月21日に一軍へ昇格し,控えとして出場を続け,8月8日に1度だけ先発マスクの機会を得ましたが,3点のリードが守れず,5回終了後に交代させられ,8月22日の出場を最後に,9月に再昇格したものの出場機会はなく,シーズンを終えました。出場試合数は23試合でした。クライマックスシリーズファイナルステージも全6試合中5試合にベンチ入りしましたが出場機会はありませんでした。
2011年は,2010年の芳しくない結果のため減俸となりましたが,100万円減で済み,
年俸1500万円でした。
2011年の時の捕手は,(12試合)4 清水将海,12 高谷裕亮,22 山下斐紹,27 細川亨,
35 堂上隼人,62 山崎勝己,70 田上秀則の7人体制でした。
この年は,細川亨選手が西武よりFA入りしたため,さらに出場機会が減り,12試合出場の結果になりました。入団して5年目で,出場試合数12となり,選手としては非常に厳しい状況となりました。
2012年も2011年の結果を受け減俸となりましたが,50万円で済み,年俸1450万円でした。しかし,落ちるところまで来たという感じで,ヤバい感じではなかったでしょうか!?
2012年の時の捕手は,(64試合)12 高谷裕亮,22 山下斐紹,27 細川亨,29 山崎勝己,35 堂上隼人(8月退団),70 田上秀則の5人体制でした。
2012年は,開幕から抹消されることなく一軍でシーズンを終え,自己最多の64試合に出場しました。細川選手の不調などあり,出場機会に巡りあえたわけで,起用面で苦しい立場にあった高谷裕亮選手にとっては,カド番脱出とも言える年でありました。
2013年は,2012年の復活で650万円アップの年俸2100万円でした。
2013年の時の捕手は,(22試合)12 高谷裕亮,22 山下斐紹,27 細川亨,29 山崎勝己,31 田上秀則の5人体制でした。
2013年は,開幕は一軍で迎えましたが,最終的に,持ち味だった打撃が打率.077と不振に終わり,出場数も前年の約3分の1の22試合という結果になってしまい,日本ハムから新たに鶴岡慎也選手をFA補強されてしまう結果となりました。
2014年は,2013年の不振な結果を受け,300万円ダウンの年俸1800万円でした。
2014年の時の捕手は,(20試合)8 鶴岡慎也,12 高谷裕亮,22 山下斐紹,27 細川亨,
62 拓也,68 猪本健太郎の6人体制でした。
2014年は,5月17日に一軍再昇格後はシーズン終了まで一軍にいましたが,完全に控え起用となり,先発出場0,シーズン無安打,出塁0,打点0,出場試合20という散々な結果に終わってしまいました。
2015年は,2014年の散々な結果にも拘わらず,年俸は現状維持の1800万円でした。
2015年の時の捕手は,(93試合)125→00 細山田武史(4月支配下登録),8 鶴岡慎也,12 高谷裕亮,22 斐紹,27 細川亨,31 栗原陵矢,62 拓也の7人体制でした。
2015年は,2014年が散々な結果で終わった高谷裕亮選手にとってはとてもラッキーな年となりました。というのも,故障離脱した細川選手,鶴岡選手に変わりスタメンマスクで出場し,チームの捕手最多,そして自己最多の93試合に出場してチームのリーグ制覇・日本一に貢献したからでした。2015年も散々な結果で終わっていれば,引退もあり得たかもしれないだけに,高谷裕亮選手にとっては超ラッキーな年となったわけです。
2016年は,2015年の活躍が認められ,1600万円アップの年俸3400万円となりました。
2016年の時の捕手は,(37試合)12 高谷裕亮,22 斐紹,27 細川亨,31 栗原陵矢,
33 鶴岡慎也,45 谷川原健太,62 拓也,141→77 張本優大(7月支配下登録)の8人体制でした。
2016年は,シーズン始めは活躍していましたが,左膝の違和感のため,6月19日に一軍出場選手登録から外れ,7月6日に左膝内側半月板切除手術を受け,結局この年は,37試合の出場にとどまりました。また,シーズン終わりに,3400万円の年俸固定の2年契約を結んだため,2017年,2018年の年俸は,3400万円となりました。
2017年は,年俸固定の2年契約のため,年俸は3400万円でした。
2017年の時の捕手は,(92試合)12 高谷裕亮,22 斐紹,31 栗原陵矢,33 鶴岡慎也,
45 谷川原健太,62 甲斐拓也,65 九鬼隆平,77 張本優大の8人体制でした。
2017年は,ファウルチップによる骨折や脳震盪で試合をはなれることもありましたが,92試合の出場で,活躍した年となりました。
2018年は,年俸固定の2年契約のため,年俸は3400万円でした。
2018年の時の捕手は,73試合)12 髙谷裕亮,30 市川友也(4月入団),31 栗原陵矢,
39 堀内汰門,45 谷川原健太,62 甲斐拓也,65 九鬼隆平,77 張本優大の8人体制でした。
2018年は,右肘の手術の影響もあり,73試合の出場と出場試合数は減少しましたが,要所要所で活躍する年となりました。
2019年は,現状維持の年俸3400万円でした。
2019年の捕手は,(55試合)12 髙谷裕亮,30 市川友也,31 栗原陵矢,39 堀内汰門,
45 谷川原健太,62 甲斐拓也,65 九鬼隆平の7人体制でした。
2019年は,主に正捕手となった甲斐拓也選手をサポートする形で,試合終盤に出場してゲームを締め括る「抑え捕手」としての役割を担い,55試合の出場でした。また,日本シリーズでも活躍し,3連覇に貢献しました。
高谷裕亮選手の2007年からの年俸推移を見てきましたが,捕手の入れ替わりもいろいろあって,さすがにプロ野球,実力が物を言う厳しい世界なんだなという思いがしました。
そして,その中でも高谷裕亮選手は,ずっと捕手として福岡ソフトバンクホークスにいるのですから,年齢だけでは計り知り得ない実力を兼ね備えてあるのだと感じました。
高谷裕亮選手の経歴も!
高谷裕亮選手の経歴についてですが,高校を卒業して社会人野球への道に進まれたというところまでは,野球人としての選択の一つであったなと感じました。
しかし,社会人野球へ進んでからは,怪我のために公式戦に1試合も出ることもなく社会人野球をやめて退社したということで,ふつうであれば,ここで野球人生は終わったな!?と思います。
高谷裕亮選手も,その当時は,野球を断念して家業の造園業を継ぐつもりではなかったのかと思いますが,ナニがどう転んでしまったのか,高谷裕亮選手は,1年間の浪人生活後に22歳で大学に進学し,1年生の時は何かの規定により1年間公式戦に出場できなかったにも拘わらず,諦めずに努力し,3年後にはプロ野球選手としてドラフトで指名されるわけですから,人生というものは本当にわからないものだとつくづく思いました。
まさに大逆転の高谷裕亮選手の人生。
おそれいりました。
高谷裕亮選手の画像も!
ここまで福岡ソフトバンクホークスの高谷裕亮選手の年俸や年俸推移を中心に紹介してきましたが,高谷裕亮選手がよくわからないという方のために画像を用意しましたので,ご覧になりたい方はココから見て頂きたいと思います。
全般的に柔和な感じで,親しみやすそうなオッサンという感じですが,いかがなものでしょうか!?
私は,高谷裕亮選手とはお会いしたこともお話ししたこともありませんので,人柄については憶測の域をはなれられませんが,全般的な写真の画像から,判断させていただきました。
まとめ
・高谷裕亮選手の2020年の年俸は,現状維持の3400万円です。
・高谷裕亮選手の年俸推移は,1200万円からスタートし,ここ5年は3400万円となっています。
・波瀾万丈とまでは言いませんが,高谷裕亮選手は一度は断念した野球を逆転人生で復活させプロ野球選手となった方ですから,もしも高谷裕亮選手について気になられた方は,これからでも応援してください。よろしくお願いします。
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